戸田柿本神社 戸田柿本神社
1710年、津和野藩主亀井茲親が創建しました。
本殿は権現造りで、妻破風の拝殿です。この地は、柿本人麿の生誕地とされ、奈良時代から語部綾部家によって、代々守りつづけられています。
現代の綾部家当主は50代目で、戸田柿本神社神官です。綾部家は柿本家の語部として大和から下向してきました。
人麿七体像:7体とも高さ60cm前後の彩色された木像で、「人麿が突然戸田の柿木の下に出現し、語部綾部家で養育された」という伝承に基づき、合掌した童子と驚いた様子の養翁嫗の姿が表現豊かに刻まれています。
津和野藩御用彫刻師 大島松渓の作。
戸田柿本神社拝殿前の梁にあるすばらしい龍の浮き彫りや組物、ご神体と七体像、高津柿本神社の神馬も松渓の作です。
人麿遺髪塚:戸田柿本神社の近くには、人麿の遺髪を埋葬したという「人麿遺髪塚」があります。
拝殿正面の竜などの彫刻も、神像を彫刻した大島松渓の作 鄙にはもったいないほどの作品群で、これらも一見の価値があります

高津柿本神社

*詳細 ホームページはこちらです。

 

高津柿本神社

高津柿本神社
人麿没後まもなく、神亀年間(724〜729)に、聖武天皇の勅命によって終焉の地である鴨島に人麿を祀る小社が立てられました。
その300年後、万寿3年(1026)の大地震で島は海底に沈み、人麿のご神体も津波で流され、現在の高津松崎に漂着しました。
そして地元の人によってこの高津松崎に人丸社が建てられ、 長い間人々の信仰を集めました。
それから600年、高津松崎の人丸社は風波のため破損がひどくなったので、1681年に、津和野藩主亀井茲親(これちか)によって、高角山(標高約50m高津城跡)に移築され、今に残っています。
拝殿は津和野城から参拝できるように津和野の方向へ向いています。どっしりとした風格の入母屋造の本殿は県建造物文化財です。
宝物庫には、江戸時代歴代天皇の御法楽短冊が展示してあります。(国重要美術品)正一位柿本大明神の神位を持ち、 開運、学問、農業、安産、眼疾治癒、 疫病防除、火防などのご利益があります。
毎年9月1日には八朔祭が行われ、古式豊かな流鏑馬神事がそばの高津川河川敷で催されます。高角橋から神社までの参道は露天商が並び、とても賑わいます。

高津柿本神社

県立万葉公園
高津柿本神社と蟠竜湖の間に広がる万葉植物園を主体とした公園です。
万葉植物園:万葉集に詠まれている約160種の植物のうち、植栽可能な153種が植えられています。
まほろばの園:まほろばの園では、曲水の宴が行える「流れ」が設けられており、王朝時代を偲び詩歌を詠じ雅の世界に浸ることができます。
人麿展望広場:公園の高台に、人麿終焉の地「鴨島跡」を望める所に、歌聖人麿が宮廷歌人として謡った歌、旅の途中で謡った詩など35種の歌碑が配置されています。 島根県立万葉公園

ホーム > 柿本人麻呂